プロフィール

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伊藤 秀司
エヌ・エイ・アイ株式会社 代表取締役社長

1958年9月19日生まれ。
横浜国立大学教育学部附属横浜中学校卒。
神奈川県立光陵高等学校卒。
慶應義塾大学経済学部卒。

創業経営者です。1995年9月創業です。36歳で創業する前は、某建設会社を経た後「(株)日貿信」という金融会社に約11年間勤めていました。戦前の発券銀行、台湾銀行の国内残余資産を基に設立された日本初のノンバンクです。当初は貿易金融会社を目指したようですが、私の入社した頃は銀行間金融(当時は大蔵省の規制が厳しく、銀行ごとに特定企業に対して一定の与信枠の上限が設定されていました)が本業で、銀行からお金を借りて銀行の保証の下に銀行にお金を貸すビジネスモデルで利益をあげていました。1957年4月1日、日本債券信用銀行(戦前の朝鮮銀行)と一緒に設立された会社です。役員の偉い方は大蔵省や日銀の出身者でした。古き良き時代の申し子みたいな紳士的な会社でした。そして私にとって、出身母体と言える会社がこの日貿信です。

その日貿信時代、バブルの後半期、1991年にニューヨーク現地法人に派遣され駐在をしました。丁度4年間です。4年の月日が経過して帰国したときにはバブル崩壊の荒波に流されかかっていて会社は青息吐息状態でした。大変残念ではあったのですが、心より大好きだった日貿信を後にする決意を固め、「経つ鳥後を濁さず」の決意の下、最終日まで必死に引継ぎを行い、40日近い有給休暇を残して退職日の翌日から意気揚々と某上場企業に転職したものの、畑違いでものの見事に失敗、ようやく自分はサラリーマンには向かないと気付き、現在の会社を設立しました。

その頃は楽天の三木谷さんとか、ソフトバンクの孫さんとか、その後大成功したIT系の創業経営者に光が当たり始めた頃です。一方、そうしたIT系の企業はまだまだ成功が危ぶまれていた頃です。楽天はどこかで躓くだろうと予測している人も多かった時代です。

もちろん私も事業の成功者の仲間入りをしたいと頑張っていました。でも実力不足でした。器が違い過ぎました。ローソンの新浪さんは私の大学の学部の一学年先輩です。年は同い年です。一度、三菱商事時代の新浪さんにお会いしたことがあります。会った瞬間に肌で感じました。器が違い過ぎました。悔しいけれど仕方ありません。成功するにはそれなりの器が必要です。これは一朝一夕で身に着くものではありません。

私の選んだ道は、派手な店舗展開やこの20年間、経済のひとつの牽引役となったIT関係等の仕事でもありません。どちらかというと地味な部類に入る「自然科学分野の英語の投稿論文のサポート」という仕事です。ニッチな仕事です。求められてきたのはただ一つ、「クオリティの高さ」です。

しかしながら、パートナーだったアメリカ在住の日本人大学教授の、「何処の誰がサービスを提供しているか表に出してはならぬ」という指導があり、『目に見えるはっきりとした品質の違い』がを実感してもらわない限り、誰もお金を払って利用してはくれません。

品質を高めるには、地道な努力を積み重ねるしかありません。派手さより本質が大事です。この厳しい環境下、このNAIという会社、この20年間でとことん「品質」にこだわる会社に育て上げたという自負はあります。どこにも負けないクオリティを提供します。

でもおそらくこのまま、言葉のソリューションビジネスだけに胡坐をかいていたら会社はいずれ立ち行かなくなります。人工知能がうんぬんと騒がれ始めている昨今、翻訳業など2~3年で消えてなくなるかもしれません。

私にはトップががんがん引っ張り続けるカリスマ的経営はできません。社員の皆様に自主的に頑張っていただき、私はその後押しをすることしかできません。だからこそ私には、みんながワクワクできる仕事を選択し推進していく責任があります。そしてお客様が心底求めているソリューションを提供し続けていく必要があると考えております。

数年前より提供を始めたバイリンガルサポート。この数年で数倍に増えている外国人観光客。彼らを迎えることにフォーカスした新時代の幕を開けるサービスです。そしてそのサービスが横展開して、今は外国人労働者に「最も大切なハートと日本において彼らを守るためのルールを伝える」現場における「こうしましょう、これは駄目ですよね」的な動画に発展しています。私達NAIは、自信をもってこのサービスをご提供しております。それが真の国際ソリューション提供サービスになるとの確信の下に。

日本と海外を、キレイごとでなく本質で結びつけるバイリンガルサポート、その可能性を信じて、今真剣に、最後のご奉公と思って頑張っています。